肩書き「石川直樹」
登山家とか冒険家とか、いろいろな肩書きで呼んでいただくことがあるんですけど、本当の意味での冒険家とか、探検家とか、すごい人たちを知っているからこそ、自分は「ちょっとそこまでは到達できていないな」といつも思っています。旅の延長でいろんなことをやってきましたが、謙遜とかではなく、パイオニアワークと呼べるような冒険や登山を自分はできていないな、と常々感じています。それに、ぼくは旅が好きなだけで、年中ずっと(冒険や登山を)しているわけでもないですから。
一年の大半は写真に携わる仕事していますから、写真家というのが、嘘がなく、矛盾もないと思います。
消去法で写真家というのが一番適切だと思っていますが、職業でくくられるのは違和感があって、肩書きではなく、「石川直樹」って名前だけで呼んでいただけるのが一番いいですね。
旅の始まり
小学生の頃は世界文学全集の子ども版みたいなシリーズを片っ端から読んでいて、「ロビンソン・クルーソー」「十五少年漂流記」「不思議の国のアリス」「トムソーヤー」「海底二万里」などを繰り返し読んでいました。その頃から冒険に憧れ、未知の世界に出会いたいという気持ちが育まれたんじゃないかな、と思います。
中学2年の冬休みに“青春18きっぷ”を使って、東京から四国の高知県まで行ったのが初めての一人旅。高校2年の夏休みにインドとネパールをひとりで旅したのが初めての海外一人旅で、その旅先で写真を撮っていたというのが、すべての始まりでしたね。
1994年、17歳の時のネパール・ヒマラヤトレッキングにて。
大学を卒業するぐらいの頃、周りがどうやって就職しようとか、どんな会社に入ろうかと悩む時期に、なぜか自分は「どうやったら就職しないで生きていけるか」ということばかり考えていました。写真家やジャーナリスト、あるいは作家やライターといったフリーランスの仕事を選べば旅を続けられると思って、写真家になりました。写真は誰でも撮れますし、写真家はカメラさえあればよかったので、一番ハードルが低かったんです。
新しい世界に出会うこと
17歳の時にインドやネパールへ行ってから30年以上ずっと旅をしてきたので、旅と日常が切り替わる、みたいな感じはしてないです。
世界は繋がっていて、赤道から極地、ヒマラヤの高みから海に浮かぶ島々まで、いろんな場所がこの地球上にあって本当にあらゆる環境を旅してきましたから、すべてが繋がっている感覚です。
どんな場所にも暮らしている人がいるし、旅先が非日常で、今いるここが日常という感じはあまりしないんですよ。
例えば、こういう取材を受けて、照明にあたりながらカメラの前で話す、ということ自体も、めずらしい状況に身を置いているわけで、常に日常の延長上でこうした色々なことに出会っているっていう感覚が強いですね。
出会ってきたものをいつも受け入れていきながら、発見し、驚いている、という感じでしょうか。
経験したことがないものにはすべて関心があるし、常に新しい世界に出会いたいと思っています。知っているつもりになって「これは興味がない」とシャットアウトすることはしないようにしています。
「最後の山」は第77回読売文学賞随筆・紀行文賞を受賞した。
「最後の山」という本は、新世代のシェルパ達がどのようにヒマラヤと関わってきて、どこに向かっているのかという流れをそばで見つめながら描いたノンフィクションです。縁の下の力持ちだったシェルパが表に出て、自分達の登山をしていくという、変わりゆくヒマラヤのあり方みたいなものを書きました。
異邦人だからこそ自分から変わる
旅では、どこでも眠れなきゃいけないし、何でも食べられなきゃいけない。常に異邦人なので、”郷に入っては郷に従え”が基本です。だから、旅人は常に変幻自在であらねばならない。
都会にいると”周りの環境”を変えようとするじゃないですか。
寒かったら暖房を入れるとか、暑かったらクーラーを入れて、自分ではなく周囲を変えようとする。
でも、極地だと周りを変えることはできないから、自分を変えていかなければなりません。例えば、空気が薄いところに長期滞在する高所登山では、そうした環境に自ら順応しなけれなりません。そうやって、常に変わっていきながら、最初に思い描いていた目的地に着かなくてもいいと思っています。枝葉に分かれた道のその先に進んでいって、事前に考えていた場所とは異なる場所に着いてしまうのが人生だと思っているところがあります。あらゆるものを受け入れていった先に、いろんな道筋があっていい、と常に思っています。
荒れる海の船上でも、凍えるテントの中でも寝て、
海で泳ぎながらでも、標高8000メートルの雪上でも用を足し、
まずいものでも、食べたことがないものでも、生きるためには何でも食べる。
生きることに関する経験の幅は、この30年の間にだいぶ広くなったと思います。
日常から極地まで、きちんと眠る。
ヒマラヤの8000メートル峰のサミットプッシュの日などはどうしても睡眠時間が削られてしまいます。東京でも、原稿の締め切りに追われて徹夜したりすることもたまにあるので、どっちがどっちということじゃないんですけれども、基本的には、ちゃんと眠って、起きて行動する、ということを繰り返しています。
オフィスに何時までに行かなきゃいけないとかもないフリーランスですから、土曜も日曜も関係ない。毎日必ずこの時間に起きる、みたいな生活では決してないけれど、起床時間は、まあだいたい7時ぐらいですかね。
睡眠時間は短いとは思わないです。6時間から8時間くらいでその日によって違います。
やっぱり睡眠は重要なので、ちゃんと寝ているつもりです。
登山で感じる眠りの大切さ
高山病や高度障害というのは、寝ている時の状態を経て、明け方に症状があらわれることが多いんです。睡眠時の呼吸は意識的にできないので、昼間よりも夜のほうが大切なんです。いびきを沢山かく人は、呼吸の通りが悪いので、高山病にかかりやすくなります。
「きちんと呼吸をしながら眠る」ということは、遠征の時にはとても大切なことです。
性格が繊細だと、長期遠征では途中でメンタルがやられてしまうこともある。どんなところでも眠れて、疲れがとれる人が旅に向いていますね。
酸素濃度が薄い場所では熟睡できないので、仲間の中には睡眠薬みたいなものを使う人もいます。眠れなさすぎてね。
でも、ぼくはそういうものを使わなくても、普通に眠れます。
自分にとっては、雨風がしのげればよくて、固い砂利の上でも、多少不衛生な場所でも、寒くても暑くても、どこでも大丈夫。だから「枕が変わったら眠れない」みたいな繊細なタイプの対極ですね。鈍感力と言ってもいいかもしれない(笑)。
むしろ、東京の方が締め切り追われたりして眠れない時があります。
ヒマラヤの方が全然よく眠れますね。逆にゆっくり眠れる。メールも届かないし、携帯電話に通知が来ることもありませんから。
ゆっくり眠る幸せ
何も考えず、ゆっくり眠れるというのは幸せです。
眠ることが嫌いな人って、いないんじゃないですか。
眠らせないという拷問があると聞いたことがありますが、だとしたら、ゆっくり眠れるということは幸せの象徴でしょう。ヒマラヤ遠征から帰ってきて、何より幸せだなと思うのは、暖かい場所で眠れるということです。
石川直樹、初めての
マニフレックス体験
触るだけで、寝心地が良さそうだなと思いました。
自分はただでさえ、どこでも快適に眠れてしまうタイプなので、こういうので寝たら一瞬で天国ですよね(笑)。
マニフレックスの素材”エリオセルマインドフォーム”は赤ちゃんが口に入れても安心なエコテックススタンダード100クラス1を取得。
従来の段ボールより大幅に廃棄を減らす紙パッケージ。ゴミの総量は手のひらに収まるほどの大きさ。
コンパクトですね。
先進国目線のSDGsという言葉には少し距離を置いて考えたいけれど、環境に関する意識は、常に頭の片隅に置いておくべきでしょう。ゴミを少なくするために、プラスチックを減らしたり、スプリングみたいなものを使わないなど、そういう取り組みはどんどんやってほしいですね。
石川直樹 with マニフレックス
in 沖縄

野外でマニフレックスを愉しむ
野外でマニフレックス『サステナブルウィング』に
寝転び、くつろぐ石川直樹さん。
「室内でも野外でも、とても寝心地が良かったです」
石川直樹さんが
選んだモデル
ピロー サンパウロ
(トラベルロール付き)
50 × 26cmコンパクトサイズながら
確かな寝心地で人気のまくら。
写真家石川 直樹さん
1977年東京都生まれ。写真家。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。2008年『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年『CORONA』(青土社)により土門拳賞。2020年『EVEREST』(CCCメディアハウス)、『まれびと』(小学館)により日本写真協会賞作家賞。2023年東川賞特別作家賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。2026年『最後の山』(新潮社)により読売文学賞を受賞。
石川直樹展 「ヒマラヤへの長い旅」開催中!
会期:2026年8月1日(土)~
8月30日(日)
会場:茅野市美術館(長野県茅野市塚原1-1-1)
▶詳しくはこちら http://www.chinoshiminkan.jp/museum/2026/0801.html
輝く暮らしは睡眠から